大阪高等裁判所 昭和37年(ネ)905号 判決 1970年10月26日
控訴人 近畿相互銀行
理由
一 控訴人が訴外西村に対する昭和三五年七月一一日付第八七一六号相互掛金払込に関する契約公正証書ならびに同年九月八日付取引約定書に基づく契約上の債権の担保として占有中の本件株券につき、昭和三六年一〇月二〇日、西村の右契約債務不履行を原因にその担保権の実行としてこれを価格金二六四、八四九円で売却換価し、その代金を右西村の債務と対当額において相殺する旨同年一〇月二四日付書面で被控訴人に通知したこと、本件株券のうち敷島紡株式一四〇〇株分は被控訴人の父中村健蔵名義であつてその所有であつたこと、うち東洋紡株式六〇〇株分は被控訴人の兄中村豊治名義でその所有であつたところ、昭和二〇年一一月二二日同人死亡により父中村健蔵が相続取得していたが名義書換はされていなかつたこと、右中村健蔵は昭和三〇年一一月二五日死亡したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。
二 されば、本件株券は右中村健蔵の死亡により、その相続人である控訴人が他の共同相続人(本件記録上は右健蔵の妻、訴外中村さだが認められるのみである)とともに相続取得し、これに対しその相続分に相当する持分を有していたということができる。
《証拠》中、遺産分割協議により本件株券はすべてさだに帰属せしめられることとなつた旨の部分は《証拠》に照らしたやすく措信し難く、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
三 ところで、前記本件株券の担保提供が被控訴人自身によつてなされたものでないことは控訴人の自認するところであるが、控訴人は、右は被控訴人の母さだが西村のため控訴人に対し担保権を設定したものであるところ、さだは被控訴人の代理権を有していた旨主張し、被控訴人は、西村が擅にしたものであり、仮にさだがしたとしても無権代理であると主張する。
《証拠》を総合すると、本件株券は健蔵死亡後はさだが保管していたところ、さだは西村から同人の控訴人に対する前記債務の担保として提供して貰い度いとの懇請を受けてこれを承諾し、被控訴人持分に関しては被控訴人に無断で、本件株券の全部にその裏書欄にそれぞれ「中村」という印鑑を押捺して西村に手交したこと、次いで西村は控訴人に対し本件株券を自己の所有として、前記債務の弁済を確保するため信託的譲渡担保として控訴人にその権利を移転してその引渡しをなしたことが認められ、他にこれに反する証拠はない。
右認定の事実によれば、控訴人はその主張する様にさだから担保設定を受けたのではなく、西村から同人が本件株券の権利者であるとして、少くともこれに担保設定権を有する者として同人との間で信託的譲渡担保契約を締結して、その引渡を受けたものであるところ、少くとも被控訴人の持分に関しては、西村は被控訴人から担保設定権限を授与されておらず、またさだがその点の代理権を有していたと認めるに足りる証拠もないから、権利者たる被控訴人の意思に基づかない担保設定行為であつたということができる。
四 控訴人は、被控訴人が右西村のした担保設定行為を追認したと主張し、被控訴人はこの主張は時機に遅れた攻撃防禦方法の提出であつて許されないと主張するが、この追認の主張の審理のためのみに更に訴訟が遅延する状態にあつたとは認められないので、被控訴人のこの点の主張は採用しない。被控訴人が控訴人に対し、昭和三六年一一月一一日付書面(乙第四号証の一)を送付したことは当事者間に争いなく、それが同月一二日控訴人に到達していることは被控訴人が明らかに争わないので自白したものと看做す。なお被控訴人は右乙第四号証の一の官署作成部分の成立は争わないが、その余は否認すると述べているが、当審における被控訴本人の供述(第一回)に照らし被控訴人の作成にかかることが認められる。そして右被控訴本人の供述によれば右書面は、控訴人が前記昭和三六年一〇月二四日付相殺通知書を被控訴人に送付したのに対し、被控訴人がこれに異議を述べた書面であるが、その文面によれば、現に西村が被控訴人に対して有する債権金三五五、〇〇〇円および西村が担保設定して差入れてある同人の株式(宝船冷蔵五〇株)に対し先に相殺すべきであり、本件株券に担保権を実行しないのは不当である旨を記述し、最後に「しかる後残債務あるならば、貴行通知書記載の株式を以て相殺すべきも亦已むなし。右の理由により貴行の相殺通知は不承認に付右通知する。」と記述してある。
しかし乍ら、《証拠》によれば、右書面は、被控訴人が西村のした本件株券についての担保設定行為を認める趣旨で記載したものではなく、どうしてもこれを認めなければならないときでも先ず前記のように西村の財産により相殺すべきであり、そして残余があれば本件株券が処分されても止むを得ないという意思を表わしたものであることが認められ、他にこれに反する証拠はない。されば右乙第四号証の一の書面は、被控訴人が前記西村のした無権代理行為の効果を帰属させる意意を表示したものではないから、これをもつて追認があつたということはできない。
もつとも、同書面の前記摘録の文面自体によれば、右書面が西村の担保設定行為を認めなければならないときには、まず西村の財産につき担保権を実行し、然る後残余があれば本件株券を処分されても已むを得ない趣旨であることが明示に表われている訳ではなく、かえつて前記「しかる後残債務あるならば、貴行通知書記載の株式を以て相殺すべきも亦已むなし。」との記述は、何ら留保なく前記西村の担保設定行為を追認したものであるかに思わしむるものがないではない。しかし、《証拠》を総合すると、それより以前被控訴人は控訴人に対し前記西村の行為が無権限である旨を告げ本件株券の返還を要求していたことが認められ、《証拠》中これに反する部分は前掲《証拠》に照らしたやすく措信し難い。そうだとすると、右乙第四号証の一の文面に確定的に追認することを表わす文言がない以上、控訴人においても、右書面の趣旨が前認定のように、被控訴人が西村の担保設定行為を認めなければならない場合における仮定的なものであることを知り、または知り得べかりし場合であつたと認められる、従つて、右書面の文言が一見追認と思わしむる記載となつていても、被控訴人の真意が前認定の様なものであつた以上、控訴人に対する追認の効果は生じないものといわねばならない。
五 次に控訴人は、本件株券につき善意取得により担保権を取得したと主張する。しかし乍ら、前記第三項に認定した事実によれば、控訴人が西村から株券の交付を受けたときは、ただ株券上に株主として表示された者の捺印のみがあつて裏書人の記名が欠缺している状態であつたのであるから、右は適式な裏書の連続がなく、その前者に適法な所持人たる形式的資格が欠けていたこととなつて、これを善意で譲受けても即時取得は成立しないというべきである。蓋し商法(昭和四一年法律第八三号による改正前のもの)第二〇五条、第二二九条(以下単に旧二〇五条、旧二二九条と略称する。)によれば、記名株券の譲渡は裏書に依つて之を為すことができ、小切手法二一条の規定は株券に準用されているが、右小切手法二一条で要求される同法一九条にいう裏書の連続ありというためには、旧二〇五条二項が株券の裏書に準用する手形法一三条の要件の整つた裏書でなければならず、手形法一三条は裏書人の署名を要件とし、同法八二条は、署名は記名捺印をもつて代えることを許容するも、捺印のみでこれに代えることは許さない。そして、かかる捺印のみによる裏書による記名株式の譲渡は、当事者間では裏書人の記名補充権を与えられたものとして有効と解し得るとしても、その記名の補充がなされない間は、依然所持人はその形式的資格を欠くものであつて、例えばその者から株主名簿書換請求をうけた会社は、そのことを理由に適法の所持人たることを否認し、書換請求を拒みうるものである(昭和三八年一〇月一〇日最高裁判所第三小法廷判決・民集一七巻九号一〇九一頁参照)。このように捺印のみの裏書によつては、所持人にその形式的資格を付与し得ないものである以上、当事者の意思によらず、前主の権利が適法と推定される客観的事実があることによつて始めて成立し得る善意取得において、かかる客観的要件の欠缺のある状態において、なおその成立を是認することは困難といわねばならない。
控訴人は記名株券は譲渡の合意および株券の交付のみによつても譲渡移転せられるというが、真正権利者からの取得の場合ならば格別、善意取得の場合においてその理論は直ちに採用することはできず(引用の判決も権利者からの譲渡の場合であり、しかも引用論旨部分はむしろ傍論である。)、本件に適切でない。
六 以上のとおり、控訴人の追認および善意取得の主張はいずれも理由がない。
そうだとすれば、西村のした本件株券の被控訴人持分に対する担保設定行為は無効であり、控訴人は、これにより弁済を受くべき法律上の原因を欠くものであるから、本件株券の処分代金中被控訴人の持分に対応する金額につき控訴人は不当利得したものというべく、控訴人は被控訴人に対し右金員を返還すべき義務がある。
(一) 控訴人は、被控訴人は本件株券の相続取得の対抗要件を具備していないから、その所有権を控訴人に対抗できないというが、控訴人は前認定のとおり実質上の無権利者である西村から担保権の設定を受けた第三者であるから、真正相続人である被控訴人がこれに権利を主張するには対抗要件を備えることを要しないものである。
(二) 次に控訴人は被控訴人が株券の保管を怠つたため控訴人に多大の損害を蒙らしめたから相殺するというが、その主張自体明確を欠くのみならず、控訴人にいかなる損害が生じたかにつき何らの立証がないのでこれを採用することはできない。
されば、被控訴人の当審において選択的に併合した不当利得に基づく返還請求は、本件株券の売却代価であること当事者間に争いのない金二六四、八四九円のうち被控訴人の持分三分の二に相当する金一七六、五六六円とこれに対する控訴人が請求を受け悪意となつた日以後である昭和三七年一月五日以降支払済に至るまで年五分の割合による利息金の支払を求める限度において理由があつて認容すべきである。
七 この点において被控訴人は、(一)本件株券の売却代金全部について不当利得に基づく返還請求をし、また(二)その利息も年六分を請求しているけれども、(一)前認定の被控訴人の持分三分の二を除く部分が、本件株券の処分当時被控訴人の所有であつたことについては何らの立証がない(前二項説示のとおり亡中村さだの持分であつたと認められる)ので、その部分が被控訴人に帰属していたことを前提とする請求としては失当であり、また中村さだはその後死亡して同人の権利義務を被控訴人が承継している点において、被控訴人の請求を中村さだ自体の有した不当利得返還請求権を相続承継して行使する請求と善解しても、前三項に認定した事実関係の下においては、西村の担保設定行為が中村さだの持分に関しても無権代理であつたと認めることはできないので、同人が不当利得返還請求権を取得するの余地なく、同人の持分に関する被控訴人の請求は失当として、排斥を免れず、(二)不当利得金返還義務は商行為によりて生ずる債務ではないから商法五一四条の適用はない。
八 なお、被控訴人は、第一審では、本訴請求原因を本件株券の所有権に基づく返還請求に代える損害賠償請求として前記本件株券の売却代価相当額の支払を求め、当審においてこれに対し昭和三七年六月二二日以降年五分の遅延損害金の請求を拡張しているが、当裁判所は右のとおり当審においてこれと選択的に併合された不当利得金返還の請求原因に基づく請求を前認定の限度において認容すべきものと判断したので、被控訴人の右従来の請求中、右不当利得金返還の請求を認容する限度と重なり合う部分(金一七六、五六六円とこれに対する昭和三七年一月五日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員)については重ねて判断の必要はない。
そして、右従来の請求中、右の範囲を超える部分については、その請求についても被控訴人が本件株券につき前認定の持分三分の二を超えてその全部に所有権を有したることを前提とするものであるところ、その点の立証がないこと前項説示のとおりであるから、これを失当として排斥すべきものである。
九 以上のとおり、当裁判所は、被控訴人の本訴請求は当審において選択的に併合された不当利得金返還請求に基づき前認定の限度において認容し、その余はいずれの請求に基づくもこれを失当として棄却すべきものと判断する。
よつて、原判決中右従来の請求の一部を認容した部分は、右と異るをもつて、民事訴訟法第三八六条に従いこれを取消し、新たに控訴人に対し、右認容された請求に基づく支払を命じ、本判決中被控訴人のその余の請求を棄却した部分は結局正当であるから、この部分に対する被控訴人の付帯控訴並びにこれに基づき当審で拡張した遅延損害金の請求および当審で選択的に併合した請求のその余の部分はいずれも棄却